1914年(大正3年4月) | 大分と湯平を結ぶ大湯鉄道(後の久大線)工事が始まる |
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1922年(大正11年12月) | 大分~小野屋間開通 |
1923年(大正12年9月) | 小野屋~湯平間開通 |
1925年(大正14年7月) | 湯平~湯布院間開通 |
1926年(大正15年11月) | 野矢駅開通(玖珠郡初の鉄道) |
1928年(昭和3年10月28日) | 野矢~豊後中村駅開通 |
1929年(昭和4年12月15日) | 久大線引治恵良~豊後森駅開通 |
1931年(昭和6年) | 恵良~宝泉寺間工事着工 |
1932年(昭和7年3月) | 久大線久留米~夜明開通 |
1932年(昭和7年9月16日) | 久大線豊後森・北山田間開通 |
1933年(昭和8年9月) | 北山田~天瀬間開通 |
1934年(昭和9年11月15日) | 久大線最後の区間日田~天瀬間開通で久留米・日田間全線開通 |
1934年(昭和9年11月16日) | 森機関庫落成 |
1937年(昭和12年7月) | 恵良~宝泉寺間開通 |
1941年(昭和16年12月8日) | 第二次世界大戦勃発 |
1943年(昭和18年9月1日) | 戦時下で鉄道レールの供出命令が下り恵良~宝泉寺間は運転休止となる |
1945年(昭和20年7月末) | 野矢駅付近で軍事物資を積んだ貨物列車が米軍戦闘機の攻撃を受け豊後森機関区の機関士が負傷 8月4日米軍戦闘機からの攻撃で「機関区」に被害 機関区助役従業員などが数名が死亡 機関庫には今もその銃弾の跡が残っている |
1945年(昭和20年8月) | 終戦 |
1948年(昭和23年4月1日) | 恵良~宝泉寺間営業再開 |
1953年(昭和28年6月) | 記録的な大雨で玖珠川が氾濫 堤防や鉄橋等が決壊して久大線は1ヶ月間不通となる |
1954年(昭和29年3月15日) | 恵良~肥後小国間国鉄宮原線が営業開始 宮原線の復活もあり豊後森機関区内の配備車は25両 職員は200人以上が勤務していた 森駅では多いときで一日5,000人以上の昇降客で賑わった |
1957年(昭和32年) | 宮原線に蒸気機関車にかわってキハ07型3両が導入される |
1970年(昭和45年9月30日) | 豊後森機関庫の終焉 ディーゼル車の導入で蒸気機関車は廃止され豊後森機関庫は役目を終える |
1971年(昭和46年2月) | 野矢駅無人化 |
1984年(昭和59年11月5日) | 国鉄合理化で同機関区乗務員は66名 |
1984年(昭和59年11月30日) | 宮原線(恵良・肥後小国間)が廃線 |
1987年(昭和62年4月1日) | 日本国有鉄道は分割民営化でJR九州と改められ現在に至る |
1994年(平成6年3月) | 旅行センター廃止みどりのコーナー設置 |
2005年(平成17年10月) | 駅舎内の販売店(キヨスク)廃止 |
2006年(平成18年3月) | 玖珠町が機関庫と約1万2千㎡の土地を取得 |
2009年(平成21年2月6日) | 旧豊後森機関区の関連遺産として(扇状機関庫・転車台)が経済産業省「近代化産業遺産」に認定される |
2014年(平成26年4月) | 福岡県志免町から蒸気機関車「29612」号機が無償譲渡される |
昭和10年 | 8620形11両 | 9600形6両 | /計17両 | |
昭和14年 | 8620形12両 | C12形2両 | /計14両 | |
昭和18年 | 8620形13両 | C12形2両 | C58形5両 | /計20両 |
昭和22年 | 8620形7両 | C58形14両 | /計21両 | |
昭和24年 | 8620形11両 | C12形2両 | /計14両 | |
昭和26年 | 8620形14両 | 9600形2両 | C12形2両 | /計18両 |
昭和28年 | 8620形14両 | C12形3両 | /計17両 | |
昭和30年 | 8620形14両 | C11形3両 | /計17両 | |
昭和32年 | 8620形13両 | C11形3両 | /計16両 | |
昭和34年 | 8620形13両 | C11形1両 | /計14両 | |
昭和36年 | 8620形9両 | C11形1両 | D60形3両 | /計13両 |
昭和38年 | 8620形7両 | C11形1両 | /計8両 | |
昭和40年 | 8620形7両 | C11形1両 | /計8両 | |
昭和42年 | 8620形7両 | C11形1両 | /計8両 | |
昭和44年 | 8620形5両 | C11形1両 | /計6両 | |
昭和46年 | 8620形1両 | (豊後森機関区最後の1両) |