近代化産業遺産が紡ぎだす先人たちの物語

久大本線は、久留米と大分を結ぶ九州横断鉄道として現在も重要な幹線であり、扇形機関庫は久大線開業時の豊後森機関区の車庫である。豊後森駅は昭和9年に全線開業した、久大線の中継拠点として繁栄が始まった。終戦直前に米軍機の機銃掃射に遭い、死者3名を出す惨事があり機関庫外壁には今も弾痕が生々しい。

戦後は蒸気機関車25両を擁する大規模な機関区となり、昭和29年には隣の恵良駅から分岐し肥後小国駅に至る宮原線も開通した。ますます重要度は増し、最盛期には一日の利用者が5800人を越えた。

昭和45年~46年のディーゼル化に伴い、その後機関庫も昭和の歴史の盛衰を見届けて、その役目を終えた。陸の重要な輸送手段として、先人たちが積み重ねてきた技術・努力・夢は、荒々しく壊れかけた窓ガラスや排煙ダクトとともに、現在それを眺める者たちに脈々と伝わってくる。

旧豊後森機関区の関連遺産の扇形機関庫と転車台は、平成21年2月6日、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定される。国道387号線のメルヘン大橋付近からも、美しいラウンドハウスの歴史的建造物として、その雄大さを覗える。

豊後森機関区と久大線の歴史

1914年(大正3年4月) 大分と湯平を結ぶ大湯鉄道(後の久大線)工事が始まる
1922年(大正11年12月) 大分~小野屋間開通
1923年(大正12年9月) 小野屋~湯平間開通
1925年(大正14年7月) 湯平~湯布院間開通
1926年(大正15年11月) 野矢駅開通(玖珠郡初の鉄道)
1928年(昭和3年10月28日) 野矢~豊後中村駅開通
1929年(昭和4年12月15日) 久大線引治恵良~豊後森駅開通
1931年(昭和6年) 恵良~宝泉寺間工事着工
1932年(昭和7年3月) 久大線久留米~夜明開通
1932年(昭和7年9月16日) 久大線豊後森・北山田間開通
1933年(昭和8年9月) 北山田~天瀬間開通
1934年(昭和9年11月15日) 久大線最後の区間日田~天瀬間開通で久留米・日田間全線開通
1934年(昭和9年11月16日) 森機関庫落成
1937年(昭和12年7月) 恵良~宝泉寺間開通
1941年(昭和16年12月8日) 第二次世界大戦勃発
1943年(昭和18年9月1日) 戦時下で鉄道レールの供出命令が下り恵良~宝泉寺間は運転休止となる
1945年(昭和20年7月末) 野矢駅付近で軍事物資を積んだ貨物列車が米軍戦闘機の攻撃を受け豊後森機関区の機関士が負傷
8月4日米軍戦闘機からの攻撃で「機関区」に被害
機関区助役従業員などが数名が死亡
機関庫には今もその銃弾の跡が残っている
1945年(昭和20年8月) 終戦
1948年(昭和23年4月1日) 恵良~宝泉寺間営業再開
1953年(昭和28年6月) 記録的な大雨で玖珠川が氾濫
堤防や鉄橋等が決壊して久大線は1ヶ月間不通となる
1954年(昭和29年3月15日) 恵良~肥後小国間国鉄宮原線が営業開始
宮原線の復活もあり豊後森機関区内の配備車は25両
職員は200人以上が勤務していた
森駅では多いときで一日5,000人以上の昇降客で賑わった
1957年(昭和32年) 宮原線に蒸気機関車にかわってキハ07型3両が導入される
1970年(昭和45年9月30日) 豊後森機関庫の終焉
ディーゼル車の導入で蒸気機関車は廃止され豊後森機関庫は役目を終える
1971年(昭和46年2月) 野矢駅無人化
1984年(昭和59年11月5日) 国鉄合理化で同機関区乗務員は66名
1984年(昭和59年11月30日) 宮原線(恵良・肥後小国間)が廃線
1987年(昭和62年4月1日) 日本国有鉄道は分割民営化でJR九州と改められ現在に至る
1994年(平成6年3月) 旅行センター廃止みどりのコーナー設置
2005年(平成17年10月) 駅舎内の販売店(キヨスク)廃止
2006年(平成18年3月) 玖珠町が機関庫と約1万2千㎡の土地を取得
2009年(平成21年2月6日) 旧豊後森機関区の関連遺産として(扇状機関庫・転車台)が経済産業省「近代化産業遺産」に認定される
2014年(平成26年4月) 福岡県志免町から蒸気機関車「29612」号機が無償譲渡される

フォトコンテスト受賞作品

360度カメラ

転車台中央

機関庫正面

機関庫内

豊後森機関区 年代別SL機関車配置車両一覧表

昭和10年 8620形11両 9600形6両 /計17両
昭和14年 8620形12両 C12形2両 /計14両
昭和18年 8620形13両 C12形2両 C58形5両 /計20両
昭和22年 8620形7両 C58形14両 /計21両
昭和24年 8620形11両 C12形2両 /計14両
昭和26年 8620形14両 9600形2両 C12形2両 /計18両
昭和28年 8620形14両 C12形3両 /計17両
昭和30年 8620形14両 C11形3両 /計17両
昭和32年 8620形13両 C11形3両 /計16両
昭和34年 8620形13両 C11形1両 /計14両
昭和36年 8620形9両 C11形1両 D60形3両 /計13両
昭和38年 8620形7両 C11形1両 /計8両
昭和40年 8620形7両 C11形1両 /計8両
昭和42年 8620形7両 C11形1両 /計8両
昭和44年 8620形5両 C11形1両 /計6両
昭和46年 8620形1両 (豊後森機関区最後の1両)

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